金カム読史会

ゴールデンカムイ完結後、アイヌ史の読書会を開いて勉強しています。

第10回 萱野茂 雄弁なるアイヌの男の一生~あるアイヌの少年がアイヌ新法を成立させるまで - 『アイヌの碑』読書会

漫画『ゴールデンカムイ』完結後、作中で描き切れなかったアイヌ差別や植民地支配の歴史を学ぶために読書会を開いています。以下は、読書会開催時の議事録を公開用に編集したものです。

(開催日:2023年5月)

選書の理由

  • アイヌの有名人ということで、萱野茂についてなにか読んでみたかった。

議事録

  • アイヌ語母語の人
    • アイヌ初の国会議員ということでインテリなイメージを持っていたけれど、貧困の中から立身出世してきた人だった。二風谷での貧しい暮らしから、心が荒むことなく、自分の利益だけに走らず、民具を集めていた。
    • 元は”文化”の人。民具や言葉からスタートしたからこそ、議員になってからもアイヌ語で質問をすることができた。そんな萱野茂だからこそアイヌ新法ができた。しかし同時に、萱野茂が”文化の人”だったからこそアイヌ新法は”文化の保護”にとどまってしまったのかもしれないと思った。半歩前進。
    • 金成マツ、知里幸恵金田一京助など、今までに読んできた本に出てきた人の名前が出てきた。金田一京助は批判せざるをえないところもある人だけど、当時の人にとっては「えらい先生」だった、という雰囲気が見えた。
    • アイヌ自身が書いた本。当時の生活や心の動きがよく分かった。父親が荒んでしまったり、祖母との暮らしからアイヌの経験を得たりなど。
    • 当時のアイヌとしても希少な、色々な文化を略奪されずに済んだ人。
    • 二風谷出身だからアイヌだけで学校に通えた。
  • 二風谷ダム裁判について
    • 二風谷ダム裁判は、アイヌが先住民であると初めて公に認めたもの。今はもう当たり前に「アイヌは先住民」と認識されている。
    • 「棄却されたけど全面勝訴」とは?
      • ダムができた後の裁判だった。
      • ポイントは「先住民が住んでいた土地だと認められた」こと←これが「勝訴」
      • この裁判のWikipediaを確認したら「この収用は違法であると判断された」と書いてあった。しかし収用裁決は取り消されなかったので「棄却」
      • 最初から負けてる前提で、主張だけでも認めさせるという戦い
  • 研究者について
    • 迷惑な研究者でも文化・言語を残してくれたところには感謝している、という言い方。自伝なので読者に嫌われるような言い方はできないから、遠慮がちに書いているんだろうなと思った。
  • 萱野茂の父親について
    • 父親のことを嫌ってはいたけれど、すごく嫌いといううわけではない
    • アイヌが自分の父や夫について語るときによく出てくるタイプのおやじさん
    • 萱野茂自身もそんなに「できた夫」ではない。古道具を買い集め、家にも帰らなかった。経済的にも苦労させた。しかもその妻について「小さい声で言いますが、…」という表現で感謝を述べている。「大きい声」で言うべきことなのに。
      • 民族博物館から注文があった品物のうち、女性が作るものは自分の妻が作った、という話があったけれど、アイヌの中にも女が作る道具・男が作る道具というジェンダーロールがある。先住民族の伝統や価値観について学んでいるときに自分のジェンダー感覚と合わなくて折り合いがつかないときもある。
    • アイヌの「父」や「夫」によく見られるタイプの男性、ではあるのだけど、それは「アイヌ的」なのか「当時らしさ」なのか。昭和の男性でよくある話ではある。
    • アルコールに溺れる父の話は、当時アイヌが生業を奪われてアルコール依存症になる人が多かったという事例をこれまでに耳にしていたので、リアルに感じられた。それまでの生活ができていれば、そんな生活にはならない。いきなり異なる生活習慣が入ってくるストレス。
      • でも萱野茂はアルコールに頼らなかったから偉い
  • 議員になる経緯が書かれている「続」について
    • サクセスストーリーでもあり、自分たちに近い話でもある。
    • 周りを固められて議員にさせられる感じも面白かった。議員ってそんな感じでなるの!?
  • 出稼ぎ少年の青春物語。炭焼きはアイヌの元々の生業ではないけれど、そういう仕事をしているときもカムイノミをしていた。カムイに身を守られていたんだなと考えていた。アイヌの考えが身のうちに生きていて、何をしていてもアイヌアイヌだと思えた。アイヌ文化を母語として育った人。だからこそ、国会やお葬式でも自分の中から言葉がアイヌ語で出てくる。
    • 日本人男性は寡黙なほうがいいという価値観だけど、アイヌ男性は雄弁なほうがいい。この違いが面白い。そういう意味で萱野茂アイヌ的な「良い男」。彼のような雄弁なひとがたくさんいたから、昔はアイヌ式のお葬式ができていた。文字を持たないけれど、文学的な文化。
      • ユカラは決まったフレーズだから覚えやすい、というのが面白かった。むしろ高度に文化的だから文字を必要としなかったのかも。
      • 演劇でも、現代口語のものは同じ言葉を繰り返すことが多い。書き言葉と話し言葉では、わかりやすい言葉が違う。書いた言葉は戻れるので、繰り返す意味はない。音声だと繰り返す意味がある。
  • アイヌの伝統的な形式でお葬式を挙げられるのは最後だから、という話。伝統文化が失われていく様がリアルに感じられた。萱野茂が活動していた時代に、まさに失われていった。
    • 言語は「最後の一人」になってしまうと再生できない側面がある。二人以上話者がいるというのが大事なので。最後の一人になったら、半ば絶えたようなもの。萱野茂だけがいても、コタンの長老のような立場の人が複数いないとアイヌ式のお葬式は難しい。
    • 「先に死んだほうが幸せ」という言葉が印象的だった。3人いて、最初に死ぬ1人はあとの2人に送ってもらえる。
  • 二風谷の学校はアイヌの子たちばかりだから良かった、だからこそのびのびと育つことができた、という話が印象的だった。平取町まで規模を広げてしまうと、アイヌはマイノリティになってしまう。二風谷は特別。
    • 部落解放運動でも、部落に小学校を作る運動があった。
    • 女子大などもそう。女子がマイノリティではなくなる場所では、女子が主導的立場になれる。
  • 仕掛け弓は、普通の歩幅で歩いていれば人間の後ろに飛んでいくから、人間には当たらない」の部分。よくできているなーと感心すると同時に、金カムの谷垣ってやっぱり子熊ちゃんなんだなという気持ち…
  • 「貝澤」姓が多い理由が分かって良かった。いっぱいいるなーと思っていた。
    • 「男の名前はカタカナ、女の名前はひらがなで戸籍に登録されていた」というくだり、知らなかったのでなるほどだった。
      • 和人が押し付けた感すごい。みんなカタカナだと男か女かわからないから、と
      • フチは呼べないのに茂という名前がついていたのも印象深い
  • アイヌ・モシㇼはアイヌ固有の領土であったことは、この地の高い山や大きな川はもちろんのこと、どんな小さな沢でも小さな沼でも、すべてアイヌの言葉で名づけられていることでわかります。」のくだり、良かった
  • 「元々アイヌは四足の動物は彫らない(だから萱野茂は熊彫りをしなかった)」に驚いた。
    • そもそもアイヌは立体の彫像を彫らない。道具に彫るのが伝統。偶像崇拝的な考えがある人は彫ると思うけど、アイヌにはないので。

サブタイトル

読書会のまとめとして、『アイヌの碑』に続くサブタイトルをそれぞれが考えてみました。同じ本を読んでも、出てくる感想は人それぞれです。自分はこの本をどのように読んだのか?を一言で表現して残すために、このような取り組みをしています。

  • 萱野茂自伝 山仕事から国会議員へ」(アズシク)
  • 「昭和、平成をアイヌとして生きるとは」(K)
  • 「当事者が語る 消えゆく文化の生活誌と名誉回復の闘争」(薪)
  • 萱野茂 雄弁なるアイヌの男の一生 ~あるアイヌの少年がアイヌ新法を成立させるまで~」(Y)

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